参加者のご感想
過去にエスペランススタージュのフランス遠征に参加した選手、サイクリストからいただいたフランス遠征のご感想を紹介します。
1)秋山 雅俊選手 2)渡辺 啓介選手  3) 山根 理史選手 4)棟久 明博選手
 5)06年 弦巻千尋さん
6)06年 谷津佳代さん 7)07年 加藤剛様、美代様ご夫妻 8)08年 斉藤純一郎様
 
 2008年 アルプスライド&シクロスポルティフ Auvergnatte 参加 斉藤純一郎様

■アルプデュエズ、ガリビエ… フランス自転車の旅

自転車歴はトライアスロンも含めると20年ほどにもなります。ちょうどNHKで放送されたツール・ド・フランスを見たのが、私のツールとの出会いでした。以後、欠かさず歴代のツールをテレビで追いかけてきました。特にアルプルやピレネーの山岳ステージで戦う選手の姿には胸を熱くなります。
最近サイスポにラ・モーマットという一般向けのシクロスポルティフのレポートが掲載されたのを読み、いつか走ってみたいと考えていました。2008年になり、1年間多忙のため休んでいた練習を再開し、調子が上がってきて夏休みもとれたので、上記のレポートを書いた久保さんに連絡をとり、時期的に都合のよいモルツィン
-ラルプデゥエズ230キロに参加することにしました。ところが、出発まじかになって同大会の中止が伝えられ、かなり気落ちしました。でも久保さんが代わりに、別の大会を探してきてくれて、さらにアルプスのラルプデゥエズをはじめとする名所も走れるようにコーディネートしていただけることになりました。

8月19日夜、雨のジュネーブ空港に降り立ちました。久保さんは同日ノルマンディーのレースのサポートをしてそのまま迎えに来られました。その日はグルノーブルのホテルへ直行。

20日、天気は回復しました。1ヶ月の夏休みを利用してノルマンディーに滞在しレース活動をしていた徳安さんという方と一緒に久保さんの車でラルプ・デゥエズの麓まで連れて行ってもらいました。ここには申請すると頂上までのタイムチェックをするシステムがあり、当然、2人とも申し込みました。確かアームストロングはTTで36分くらいを出したようなかすかな記憶がありました。1時間で走れればいいかなと思いながら、GO! いきなり激坂が始まります。これが憧れのラルプ・デゥエズかと感慨に浸る余裕もなしに、何かに憑かれたように自分を追い込みました。
 
 HRも軽く180を超え、抜かした人から‘
Slowly!’(多分)と声をかけられます。呼吸が激しく、のどがやすりをかけたように痛み出しました。それでもペースを落とす気になりません。この場所には幾千幾万の自転車選手の念がこもっているのでしょうか?自分が走っているのではなく、走らされているような気さえしました。結果はジャスト1時間でした。徳安さんは1時間を切りました。
自転車から降りて歩こうとすると、いきなり足が筋肉痛です。こんなことは初めてです。そのまま、3人で眺めのよいレストランで昼食となりました。下りは車に乗せてもらいました。改めて車から自分の登ってきたコースを見ました。それは自然と人間のつくった最高の芸術作品です。

次はロータレ峠の近くまで車で連れていってもらい、ガリビエ峠に向かってG
O!さすがにラルプ・デゥエズで鬼のように追い込んだ後なので、HR150程度で走りました。氷河を抱くアルプスの峯峰を見ながらのサイクリングは最高です。空気のうすさを感じますが、全然苦しく感じません。このままいつまでも上りが続いてほしいとさえ思いました。ガリビエ峠は最後の数キロが激坂になります。こんなときはコンパクトドライブが役に立ちます。頂上につくと峠の反対側は霧の中でした。夜は久保さんの友人のピストの元フランス・チャンピオンの自宅で夕食でした。奥さんのショーンタルさんも大の自転車好きで英語を話せます。地元のサイクリングクラブのオーナーで医師のジョンさんも同席しました。自分はフランス語は挨拶程度しかできませんが、久保さんが流暢にフランス語を駆使し、会話に溶け込み、時々通訳をしてくれたので、楽しい時間を過ごすことができました。

 21日も好天の下、ブリアンソンまで車で連れて行ってもらい、そこからまた徳安さんとイゾアール峠を上りました。グルノーブルの自転車チームの若手2人も一緒に走りました。ここもまた、最高の景色でした。走った後はブリアンソンの旧市街の観光を楽しみました。夜、グルノーブル郊外のバスティーユという最高24%の斜度の激坂を上りました。前輪が上がりそうになります。ショーンタルさんやジョンさんが車で伴走して応援。まるで本当のレースみたい。何とか頂上まで到達し、そこにあるレストランで祝杯を挙げました。

■シクロスポルティフに参戦

22日はオーベルニャットへ移動。フランス中央山塊に当たるこの場所でシクロスポルティフが開催されます。明日の気温は8℃。頂上は2℃と聞かされます。距離は180キロだったのが、150キロに短縮されたとのことです。一応冬装備も用意しておいたので役に立ちそうです。

23日スタート前、レースの主催者にインタビューされます。日本人は初めてとのことで、徳安さんとともに最前列に並ばせてもらいました。700人あまりの参加者です。スタートは整然と行われました。市街地を出るといきなり上りが始まります。霧が深くなり、小雨も降ってきました。そのうち先頭は見えなくなりました。1500メートルの頂上を越えると後は丘陵地帯の小刻みなアップダウンが応えます。こちらの選手は筋骨隆々とした重量級の選手も難なく上りをこなします。
 残り20キロあたりから、しっかり補給はしたつもりなのにスタミナ切れかペースが落ちてきました。少しでも上の順位をという欲念も消えたそんな時、白髪の熟年レーサーに抜かれてしまいました。市街地に戻る最後の下りでも後ろから猛スピードで何人かにパスされてしまいました。そしてようやくゴール。平均スピード
27.8キロ、順位は49位でした。このレースは日本では知る人はいませんが、なかなか走り応えのあるコースです。レース後、明日の飛行機のためにジュネーブへ戻ります。途中でクレモントに寄り、有名な教会を観光。

24日、車で空港まで送ってもらい、そこでお別れとなりました。本当に久保さんにはお世話になりました。今まで自転車を続けてきてよかった。そしてこれからも続けていこうと強く思いました。自転車と観光を巧みに組み合わせた今回の旅は単にレースのみならず、フランスの歴史が育てた文化に触れる旅でもありました。

斎藤 純一郎

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 2007年 La MARMOTTE 参戦サポート参加  加藤剛様 美代様 ご夫妻

■「英国から参戦、無事完走」

英国赴任という地の利を生かし、英国赴任以後毎年ツールドフランス観戦し続けてきた私は、赴任生活最後となる今年にはツールドフランスの山岳コースを走りたいと思い個人で計画を立てていました。すると定期購読しているサイクリングスポーツで、久保さん企画のラマーモット参戦プログラムを発見
!かなり過酷なレースと感じるも、13年ぶりのツールドフランス英国ステージ観戦を捨て、夫婦でツアーに参加することとしました(と言っても、家内はサポート)

7日間の滞在プランAに参加した我々は月曜日にフランス入り。土曜日のレースに備え、グルノーブルというすばらしい山々に囲まれた場所で地元サイクリングチームとの合同練習を重ね、フランスの家庭料理も堪能しながら、徐々に気持ちが高まっていく。合同練習初日には、トラック競技ピストの元世界チャンピオンのジェローム・ヌーヴェルが現れビッグサプライズとなった。

レース当日。本ツアーの地元サポーターからの温かい激励を受け、ゴール地点でもあるラルプデュエズ頂上の宿泊地から、レーススタート地点へ車で向かう。非常に気持ちよい快晴であったが、朝は肌寒く、体も心も気が引き締まる。スタート地点では、久保さんからオイルマッサージを受け、いよいよ走るんだという気分になった。

7時丁度ピストルが鳴り、3つに分けられたグループの内、我々のグループからスタート。完走目的の私は、みるみるうちに後続に抜かされ、しばらくすると一人マイペースで走らざるをえなくなった。久保さんのアドバイス通り、無理をしないペースで走る。1つ目の峠のクロワドファー峠を越えると、ガードレールの無い細い下りの急坂が続く為、慎重にマイペースで下る。

下りきった後のテレグラフ峠入り口までは、なだらかな上り坂が続く国道。同レベルの参加者を見つけられないまま孤独な走りが続き、さらに道路からの太陽の照り返しでエネルギーを消費してしまい、本格的な登りが始まる手前で休息。もう少し休憩したいところだったが、ランドナーで明らかに年上の女性の参加者を発見し、焦り気味に早めの出発。九十九折の急坂で我慢の走りを続け、テレグラフ峠を越えた後、漸く第
3の休憩地点に到着。

パン、ハム、チーズ、バナナ、干しプルーン、オレンジ等々で大量補給。なんとそこには久保さんが待ち受けていてくれて、つかの間ではあるものの孤独感から開放されエールをもらった。少し長めの休憩の後、ガリビエ峠へと出発。登るにつれ徐々に視界が良くなり、このレースで最も景観の美しく雄大な山々を見渡せる景色に囲まれる。景色を楽しむ余裕は無いが、すばらしい眺望のおかげだろうか、力がみなぎる感覚を覚えた。さらに、登りの途中、私の奥さんを含む久保さんサポートカーが待機してくれて、さらにパワーアップ
(写真は、家内との記念撮影)

ガリビエ峠までもうひと踏ん張りし、長い下りのステージへ。下りでも依然として見晴らしは良く急カーブは少ないものの、やはりガードレールは無いため、スピードを抑え慎重に走る。この地点になると漸く同レベルの参加者が見つかり、小集団でラルプデュエズへ向かう。登りと使う筋肉が違うからだろうか、ペースを上げ快調に下って行く。ラルプデュエズ麓の最後の休憩地点で、陽の光で火照った体を水で冷やす。久保さんのサポートチームに声援を受けながら登り始めると、足が全く動かないことに愕然とした。このレースでリタイアするほとんどの人はラルプデュエズ手前であるとの記憶が蘇る。

ラルプデュエズにはカーブ毎に歴代優勝者の名前がつけられた
21のカーブがあるが、1つ目のカーブに達したところで、堪らなく着地。長丁場になると自覚した。その後、休憩を繰り返しながら最後の力を振り絞り、日が沈み始める頃12時間50分でゴール。13kmのラルプデュエズだけで2時間半も要し、身をもってこのレースの攻略が難しいことを痛感した。そして何よりも暖かくゴールで出迎えてくれたサポートチームに感謝。人生最高の達成感であり、今でも誇りに思う。この思いは一生消えないだろう。

非常に過酷なレースですが、サイクリングを愛する健脚な人たちに、是非このツアーに参加して欲しいと切に思います。ツアーを通じて、ヨーロッパのサイクリング文化、フランスの雄大な自然、そして何よりもフランス人の心に触れることができ、サイクリングへの思い・情熱がきっと深まると思います。

このツアーを推薦する理由を挙げます。

@     ツールドフランスで採用されるコースを、レースで走ることが出来る。しかも、プロレベルを含む7000名相当のヨーロッパ人と競うことができる。

A     攻略が難しいコース設定。174kmの距離で4つの峠を越える(累積高低差5000m)為過酷であるのはもちろん、3つの峠越えの後長い下りが有り、最後にラルプデュエズを迎える為、実力を最大限に発揮することが難しい。

B     安心サポート。プロのサポートも行う、久保さんのきめ細やかでハートフルなサポートを受けることができる。

C     フランス地元民との合同トレーニング。久保さんも合同トレーニングに参加するため、日本語のサポート有り(自転車乗りのコミュニケーションに言語は問題ない!?)

D     適度な観光。レースのみに集中することなく、適度な観光でリラックスでき、またフランスそのものを堪能できた。

E     臨機応変な対応。レースに参観しない家内もツアーに参加させて頂き、私の自転車トレーニング中は地元サポーターとランニングを行ったり、レース中はサポートカーに同乗させて頂くなど、異なる側面からツアーそのものを楽しませていただいた。

久保さんへ

これからも、自転車競技を愛する人たちの架け橋となって、一人でも多くの競技者を感動させられるよう、また日本でのサイクリング人気が広がるよう、ご活躍を祈っています。

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 2006年 Tour du FASO 遠征参加 谷津 佳代さん(スタッフ参加)
■TOUR DU FASOに参加して

今年で20回目を迎えたアフリカ最高峰のロードレース“TOUR DU FASO”。初めての国際レース参加、初めてのステージレース参加と、私にとっても記念大会となりました。

レースは全部で11ステージ。連日、35度を超える厳しい暑さの中、悪路を100km以上も走る過酷なものでした。
私はレース中、プレスカーに同乗し、様々な写真を撮ることが仕事。ですが、無線で入ってくる日本選抜チームのレース状況に一喜一憂しながらレース展開をじっと見守る毎日でした。
落車に巻き込まれ怪我をしながらも、マラリアにかかり高熱をだしながらも、
ひたすらゴールを目指し走り続ける選手たちの並々ならぬ精神力の強さに、また、国・文化・習慣・言葉などは違えど、同じ舞台で輝こうとする選手たち・・・
誰よりも速くゴールを目指し走り続ける、そんな選手一人一人の熱い眼差しに感動しました。そんな選手たちを奮いたたせるものは、日本のレースではみたことのないほどの沿道に集まる大群衆。その熱気と声援に他ならないと思いました。

 ブルキナファソで、ロードレースは国民の憧れのスポーツ。
日本選抜チームのスタッフとして働いてくれたスレマン君も『TOUR DU FASOに出場することが夢』だと日々練習に励んでいるそうです。沿道に立ちキラキラした目で応援してくれていた子供たちも将来の自分と重ね合わせて選手を見ていたのではないでしょうか。

今大会で一番印象に残ったのは“笑顔”でした。
沿道で応援する人々の笑顔、子供たちの笑顔、そして選手たちの笑顔。この“笑顔”はものすごいチカラがあると思います。
私自身、まさにこれらの“笑顔”に励まされ、エネルギーをもらい、毎日が楽しく2週間があっという間に過ぎました。
ブルキナファソで学んだこの“笑顔”のチカラ。今度は日本で、私自身が実行していこう、そう思います。

 最後になりましたが、今回、いろいろとお世話になった久保さん、そしてチームのみんな、またツール・ド・ファソ関係者の方々に感謝します。ありがとうございました。

谷津 佳代
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 2006年 短期プラン参加 弦巻 千尋さん
フランスの英雄ベルナール・イノーに会えた
夏休みの1週間を利用してシクロスポルティフ、ラ・ベルナール・イノーに参加しました。この大会は、ツールドフランスで5勝した、あのベルナールイノーの故郷、ブルターニュ地方・イフィニアックを通る230kmの市民レースで、イフィニアック近郊の大きな街サンブリュー市がスタート/ゴールとなっています。約500人の参加者が一斉にスタートし、レベルに応じて自然発生する集団で走っていきます。途中2ヶ所の補給地点では水やリンゴ、バターケーキ等が並び、ゴール後は、おいしいランチにデザートと、お土産のボトル、Tシャツを戴きました。110kmのコースも設定されており、こちらには奥さんのマルティン・イノーの名前がつけられています。
(写真>ブルターニュの美しい海辺を走る)

85年のツールドフランスを紹介するNHKの番組に多大な影響を受けた僕にとって、ベルナールイノーは最大のヒーロー。久保さんの尽力で、その憧れの人に会うことができました! しかもイノー本人だけでなく、奥さん、息子さん、お父さんにまで! いやあ、もちろん一生の思い出ですよ。戴いたサインは家宝になりました。 (日本からお土産を持参して良かった・・・) 
(写真>ベルナールイノーさん奥様のマルティンさん息子さんとオーガナイザー)

フランス語はアイサツしか知らないので、自分でエントリーするのも難しいわけです。コーディネイトをお願いしたからこそ、そして久保さんの人柄と自転車に対する真剣さが皆に伝わるからこそ、ここまできるンだな、と思いました。
なお、自転車の輪行についてはホームページやメールでアドバイスしてもらいました。
またフロアポンプや補給食のエナジーバー、タイヤチューブのサポートをしてもらえるので荷物も少なくてすみます。

あーもちろん、休みに一人でフランスに行くなんてことができた根本は、ダンナを理解してくれる素晴らしい家族、というか嫁さんであればこそ、でございます。平素より大感謝しております。いつかは家族皆で行きたいものです。

旅行は1週間、レースは1日。その間は足慣らしのトレーニングをしつつ、観光していました。ずっと行きたかったモンサンミッシェルやサンマロ、カンカルといった有名な観光地を回り、食いしん坊な僕は彼の地の名物料理を満喫しました。
特にブルターニュ名物の「海の果実」という牡蠣、貝、海老、蟹の盛り合わせは、今思い出してもヨダレが出てきます。
サンブリュー市はじめ、ブルターニュの人たちはホスピタリティが素晴らしく、とてもリラックスできました。

さて肝心のレースは、「自分が自転車選手になれたのはイフィニアックの丘のおかげだ」とイノーがいう、その丘陵地帯はとても美しいですが、アップダウンが続き、風が強い、かなりタフでディープなコースでした。前半ハシャギすぎたために、後半は止まってしまい、順位は後ろから数えたほうが早い結果でした。
それでも現地の自転車野郎たちと一緒に走り、ロータリーをまわるのが、千切れてひたすら距離をこなすことも、本当に楽しかったです。 そして、
すぐ風向きに応じた集団形態をとる。
一見お爺さんに見えても、みんなしっかり速い。
230kmの全行程、道を曲がる地点には必ずボランティアの人が立っている。
市民レースで木曜日なのに見物客がたくさん来て応援してくれる。
など、フランスの自転車文化の奥深さを肌で感じ、垣間見ることができました。今までアルプデュエズ他、個人で欧州サイクリングをしたことはありましたが、こういうことまでは分かりませんでした。
実業団レベルでなくても参加できるシクロスポルティフ。強く!お薦めします。
この幸せは、ぜひ、多くの方に経験してもらいたい!

チームL’ottimo(オッティモ) 弦巻千尋

(写真>ブルターニュの厳しい235kmを見事完走!)
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 2004年 短期プラン参加 秋山 雅俊さん
仕事の休みを利用して2週間のフランス遠征
私は、GWを利用して2週間、フランスでレースに参戦しました。
自転車に乗っている人であれば、一度は本場フランスでレースをしたいという気持ちがあるのではないでしょうか?
私にはその夢があり、このエスペランタージュを利用して夢を現実にすることができました。

今まで海外でレースをできるのは一部のエリート選手または有望な若手だけというのが現実でしたが、このエスペランタージュでは、プロを目指す若手以外にも、私のような自転車が好きで一度でもいいから本場でレースに参戦したいという人の夢を叶えることができます。海外でのレース活動の敷居を低くした画期的な遠征プログラムです。

フランス人の家庭にホームステイし6レースに参戦
コーディネーターの久保氏は、フランスでの活動に参加者の個々のニーズに合わせてスケジュール・プログラムを組んでくれます。
実際に私はフランス人の家にホームステイしたいという無理も聞いてもらい、レース以外にもその家族との貴重な体験をすることができました。
モネが描いた大聖堂で有名なルーアンに滞在したのですが、レースがない日は、ホームステイ先の家族が観光に連れて行ってくれました。ガイドブックに載っているノルマンディー地方の観光名所はすべて行くことができたと思います。
レースに関しては、2週間で6レースに出ることができました。
 2週間で6レースというのは、日本では考えられないレース数だと思います。今まで日本でのレース感覚に慣れていた私にとってはある意味ハードスケジュールだったのですが、日本では味わえない本場のレースを何度も体験できるいい機会でした。

日本とはまったく違う本場のレース
 私が出るような日本のレースでは、最後まで脚を溜めていたものが勝つというレーススタイルがヨーロッパのレースでは通用しないこと。そして、自分から積極的なレースをしないとレースでは勝つことができないことを実感しました。
 あるレースで着にはかかわらなかったにもかかわらず、私の積極性を評価してくれたオーガナイザーが、粋な計らいで賞金をくれたときは、本当に感激しました。
また、テレビでレースを見ていてもいまいち「横風」というものが、どんなものなのかわかりませんでしたが、実際レースをしてみると横風のすごさ(まるで向かい風!)を体感するするとともに、地獄のつらさを味わいました。今では貴重な体験ですが・・・

このエスペランタージュの遠征プログラムがなければ、海外でレースするために必要な宿の手配、現地での交通手段、レース情報等の煩雑かつ膨大な事務を個人でしなければいけません。しかし、エスペランタージュを利用すれば、コーディネーターがすべての事務手続きを代理で行い、参加者はフランスでのレースだけに集中することができます。また、久保氏が長年培ってきたフランス人との信頼関係のおかげで、単なるよそ者とみなされずにすむでしょう。
年齢が気になるかたでも、フランスの自転車カテゴリーは細かく分かれているため、どんな年齢の方でも参加でき、満足することができると思います。
フランスでレースをしたいと少しでも思っている方に足りないものは、少しの勇気ではないでしょうか?
そう思った方、一度メールで問い合わせをしてみましょう!


2006.3.01 秋山雅俊
 
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 2005年 短期プラン参加 渡辺 啓介選手
私は去年の4月から6月の約3ヶ月間、久保さんにコーディネートをお願いしフランス・ルマンディ地方のサイクリストのお宅にホームステイをさせていただきました。
私の目的は、本場フランスのロードレース環境を体験することと共にフランスの文化、フランス人との交流の中でよりフランスを知りたいというものでした。

実際にフランス行きを決断したときも、初めてフランスでホームステイ先のお宅に行ったときも、ものすごく不安でいっぱいでしたが、自転車という言葉のいらない共通のコミュニケーションを通じて、ご主人やその息子、チームのみんなともすぐに溶け込み、最初の不安はどこへ行ったのか、毎日が夢のようでした。

透き通る空の下、フランスの大地を思う存分走れることは想像を絶する感動です。
そのほか、久保さんにはパリ〜ルーべ観戦や、アルプス合宿(グランドン・ガリビエ・ラルプデュエズ)にも連れてっていただき、これら全ての体験が出来たのも、先駆者としてフランスで多くの道を切り開いた久保さんの苦労と努力の賜物であるとつくづく感じました。

コーディネート料ですが、行く前は「高いかなぁ?」と感じましたが帰る頃には、「お金を払ってもこんなすばらしい体験はなかなかできるものじゃない」
と思えるほど、私にとってはかけがえのない財産になりました。
感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございました。


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 2003年、2004年 選手長期遠征参加  山根 理史 選手

2002年、幸運にもフランスのチームに所属して走る機会を得た私は、翌03年も継続して渡仏することを漠然と考えていたが、具体的な手立ては02年のシーズン末には何もなかった。そこに舞い込んだのが、元チームメイトでもある久保信人氏の提案だった。
 かくして、私のほか二名が光栄にもエスペランススタージュの渡仏第1号として、久保氏のエージェント能力を頼ることとなった。

 フランスの滞在先に到着すると、さっそく受け入れ先のチームの監督や、数ヶ月間住み家とするアパルトマンの大家さんらが暖かく迎えてくれた。歓待を受けるとはこのことだが、これがどれだけありがたいことか。
 チームの受け入れ先が決まっており、すぐにレースが出られる。住む場所にも困らない。
 渡仏経験者の体験談は事前に仕入れていたが、所属チームが決まらなくて1〜2ヶ月レースに出られない、という話はかつてザラだったのだ。フランス人は保守的な人が多いから、住む場所にしても、円滑な人間関係を築くのがひと手間となる。しかし、久保氏の築いた人間関係をはさんで紹介された我々は、すでに第二の家族のように受け入れてくれた。

フランス・ルーアンでの生活
 さあ、いよいよフランスでの生活が始まる。チームジャージの受け取りなど自転車に関わる事はもちろんだが、何よりもっと生活に関わる雑事も楽しみたい。私たちが住んだ町は、ルーアンという大きな町だった。ジャンヌ・ダルクが処刑されたところ、セーヌ川沿いの大きな町、簡単に言えばそんなところだ。そんな町に、いうなれば我々は引っ越してきた、という感覚。自分たちの生活圏内に何があるのか、自分の目と足で確かめ、スーパーで買い物をしたりする。道順を覚えたり、他にどんなお店があるのか見て回ったり、そうそうアパートの門の合鍵を作るために、鍵屋さんを探したりもした。
 ルーアンという町は大きいから、見るものに飽きることが無い。石造りの町は、それだけで異国のかおりを楽しませてくれた。
 とにかく、まずは毎日の生活のルーチンを作る作業が当然ある。外国でそれをやることは、初めてならちょっとどきどきするだろう。でもフランスの空気に慣れるにはほどよい最初の刺激だ。これからフランス人のチームメイトたちとも仲良くしていかなければならないのだから。そこはそこ、ただの観光とは違う。我々は現地の人との交流前提だ。
 
 さて、もちろんのこと、生活の中心は自転車だ。ルーアンの町並みを走る。右側走行でときたま石畳、路面電車が併走する道路を走り抜けると、いきなりフランスのだだっ広い牧草地や、豊かな森の中を突っ切る道に景色が変わる。
 そこはまさにツール・ド・フランスの画面の中の景色。先年はルーアンでゴールするステージもあったくらいで、まごうことなく、我々はその場にいるのだ。ツールの中継を見ていて見覚えのある練習コースの空撮をヘリコプターが捉えたときは、なんだか嬉しかったものだが、それも当然。ちょっとずつフランスの中に馴染みが出来てくる。
 そんな広大な景色の中、東西南北に練習コースを取り放題。車は皆無だし、いたとしても練習する我々の邪魔にならないように追い抜いてくれる。日本では考えられないドライバーの意識だ。こんな安全な道路は日本には無い。コースを考えるために地図を見るのが楽しくなる。今日はどこの町を目指そう? こっちの森はどんな景色だろう? 練習もちょっとした観光だ。

日本にはないレース環境
 そしてレース。到着して次の週末にはレースに出られる。条件が許せば到着した翌日にだってレースはある。週に2〜3レースという頻度もまた日本にはない環境。
日本のレースは数が少ないために、極端な失敗が許されない。まず完走して、着実に順位を収める必要がある。だが、ここではレースの数が多いため、練習と割り切って思い切ったことが試せる。失敗したら完走も危うくなるかもしれない、という全力を尽くしたアタックや、勝負どころでの、勝つかビリかという賭けにも出られる。いろんなことを試して、自分の実力の器を広げていくことが出来るのだ。
 それに、高い強度であるレースを高頻度でこなすことで、肉体のパフォーマンスは一つ、二つと殻を破っていく。
 成長段階でのこうした繰り返しが、本場のプロ選手を生むのだろう。

より若いうちに・・・
 もし高校を卒業して自転車選手を目指そうと思ったとき、自分の周りによい環境が無いのなら、さっさとフランスにいって磨かれて来い、と僕は言うだろう。若ければ若いほど伸びがいい。そしてそれだけではない。
 フランスのカテゴリーはとても細密だ。選手はそれらに振り分けられ、レース自体もひとつ上のカテゴリーの選手が混じって走るレースであったりそうでなかったりと(強い選手が混じれば当然レースはキツくなる)、レースレベルの調整が細やかで、少しずつ自分の実力に合わせてレースのレベルを上げていける。常に勝ち負けに加わる濃密な(力を限界まで振り絞った)レースをこなしてステップアップしていけるのだ。カテゴリーのステップアップには、とうぜん何年か掛かる。だが、ステップアップした先には、確実にプロ選手としての道があるのだ。単純に、1年1カテゴリー登っていけば、18歳が23歳になるくらいにはプロ選手が誕生する、という計算になる。だから、若ければ若いほど、時間的にもチャンスが広がるわけだ。もちろん、これまでの下地があるなら18歳に限ったことではない。現段階のレベルと経験を持っていればカテゴリーアップは速いし、更に殻を破って伸びるという意味では、よりチャンスがあるかもしれないのだ。

 こうしたカテゴリーシステムを作っているフランスもさることながら、プロへの道を我々に対して具体的に知らしめているのは、久保信人氏のエージェント能力の賜物だ。
 彼が持つコネクションこそが、日本人の財産でもある。私はツール・ド・フランスのディレクター(当時)であるジャンマリー・ルブランや、フランスの英雄ローラン・ジャラベールなどに、飛び込みでインタビューを取れる人間を他に知らない。これは、彼がフランス語に堪能なだけでなく、生活習慣レベルで当地の文化や人情を理解しユーモアも交えたコミュニケーション能力があるからこそなのだ。コミュニケーションにユーモアは有効だが、コミュニケーションにユーモアを交えるには文化的な深い理解がないと出来ないことだ。友人として間近で彼を見てきたが、彼はどんどん新しい顔ぶれのフランス人と仲良くなっていく。私自身、彼との会話には深みのある面白さが増したと、彼がフランスで選手時代を過ごした前後を比べて思うことがある。そうした人間的魅力もあるのだろう。
そのコミュニケーション能力で得られたパイプはプロチームの監督たちとの間でも築かれている。日本の自転車界にこうした人材は5人といないのだ。
 選手に実力さえあれば、彼のエージェント業務はこの監督たちとの間でも行われることになるだろう。

 プロへの道は拓かれている。険しいが、道は確かにあるのだ。


山根理史(やまね・まさふみ)
YOUCANスペシャライズドNISSYO契約選手

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2004年 選手長期遠征参加 棟久 明博 選手
『憧れのフランス』
2003年11月。レースシーズンも終わり、今後のレース活動について考えた。
働きながら、実業団のBR-1カテゴリーで約1年半走っていた。BR-1になってからは、ただ完走を目指して走るレースが続き、レース展開に絡む動きはほぼ出来なかった。全日本選手権・都道府県大会・国体等の全国大会にも出場したが、成績は冴えない。また同じような環境で自転車競技を続けるのか、否か迷っていた。

そんな中、「EsperanceStage」の存在を知った。
海外でのレース活動には、以前から興味があった。が、海外での活動を始めるには、あまりにもクリアすべき問題が多かった。一番の問題は「現地での活動方法」に関しての問題だった。
選手登録やチーム探し、滞在する家など・・・。フランス語の学識やコネクションの無い僕らには、海外遠征なんて遠い存在だった。

3人でフランスへ
久保さんに連絡を取ってフランスのレース環境の話を聞くと、「経験を積んで、更に強くなりたい!」と思えた。学時代にサイクリング部から競技を始めた自分には、常々レース経験が足らないと思っていた。フランスでは、週に2〜3レース走れる。「実戦こそ練習」なのだ。「フランスのレースで、絶対に勝ってやろう!」

4月1日から7月1日までの3ヶ月間の遠征で、日本でのチームメイトを誘って3人での共同生活となった。4・5月は、現地の積極的なレース展開に戸惑い、取り残される展開が多かった。5月後半から6月は、積極的に前で動けるようになってきた。レジョナルカテゴリーで、1桁入賞も増えてきたが、目指していた「優勝」は出来なかった。

フランスの選手は、平坦のスピードがある。集団から抜け出る「瞬発力」と、逃げる「スピード」が必要だった。また、集団から抜け出る為には、他が一瞬怯むタイミングやコース上のポイントを把握する事も必要だった。経験不足・力不足の僕は、終始「先頭を引くな!!アタックしろ!!」と言われ続けた。3ヶ月で展開に絡めるレースが出来るようになったが、優勝するにはまだまだだった。

僕は現地のチームに所属し、活動をしてきた。「Rouen」から50km位離れた、「Fontaine le dun」という田舎の街にあるチームだった。チームの関係者、特にルドビック監督の一家には本当にお世話になった。フランス語もろくに話せない僕らを、寛容に受け入れてくれて本当に感謝している。いまでもルドビックの息子のフロリアンとは、手紙やプレゼントを贈り合ったりして交流が続いている。かけがえの無い友人である。

ジロ・デ・イタリアを観戦
5月末には1週間程度の休養として「ジロ・デ・イタリア」の観戦へ旅をする事もできた。山岳ステージの「チマコッピ」を自走で登り、本場のプロレースの華やかさを自分の目で見ることが出来た。あの「悪魔おじさん」にも出会い、感動しました。江下・福原選手とヨーロッパの各国を車で旅をした事は、楽しく貴重な思い出である。

住んでいたのは田舎のジットであり、大家さんのオデット婦人はとても親切にしてくれた。フランス語の解らない僕達に、辞書を片手にコミュニケーションを取ってくれていた。また、お菓子や農園で取れた卵などを持ってきてくれたりもした。近場のレースには手作りの「日の丸」の旗を手に、応援してくれたりもした。小さい東洋人を、「プチジャポネ」と呼び息子のように可愛がってくれた事に、感謝の気持で一杯だ。

そして、3ヶ月の遠征を終え一旦帰国した。帰国後、間も無く行われた実業団のレースでは良い結果を残す事はできなかった。しかし、8月末に行われた「都道府県対抗ロードレース」で後半の勝負所でアタックし、3位に入賞する事が出来た。積極性のあるレース展開で上位を獲得できた事は、日本のレースでも自分が通用すると実感させられた。

カメルーンのレースに参戦
その後、地元(山口県)の大学生で一緒に「都道府県対抗ロードレース」に出場した岩藤君と再びフランスへ。今回は、アフリカ・カメルーンでのステージレースへ出場する事が決まっていた。アフリカという未知の地でのレースは、不安が多かったが自分のスキルアップになると思い挑戦した。
カメルーンでは、レース経験というよりも「人の生き方」について深く考えさせられる経験となった。アフリカで頑張っている選手は、本当に純粋であった。良い機材を駆使して走っているフランス人や日本人と対等に、10年以上前の自転車で対抗してくるのだ。
中には、ブレーキシューが付いていない自転車や今にもパンクしそうなタイヤの自転車など、驚かされた。
それでも、同じ集団で走っている。衝撃だった。

様々な人達と交流する事で、自分の中の「考え方」が変わったのが解った。帰国後に体調を崩し苦しい思いをしたのだが、またアフリカの大地で走ってみたいという気持ちがある。それほど衝撃的な経験であったのです。

フランス・アフリカでの貴重な体験を終えて、昨年は日本で「実業団レース」を中心に活動してきた。日本とフランスでのレース展開の違いは多少なりともあるが、戦うという意味で「メンタル」は強くなっていたと思う。昨年のレースで上位入賞は出来なかったが、絡める位置でのゴールは以前よりは増えてきたと思う。「積極性」をもってレースに挑めるようになったし、自信もついてきたと思う。
これからも「優勝」を目指して頑張りたいと思っている。

そんな「フランス」や「アフリカ」でのレース活動は、「EsperanceStage」の久保さんが居なければ成しえなかった経験だ。遠い世界に思っていた海外でのレース活動やロードプロの世界が身近に感じられた。
自分の選手としての可能性も見出せたし、視野が広がったと思う。

素晴らしい経験を提供していただいた、久保さんには厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。

作成:2006年2月20日

Team YOUCAN/スペシャライズド所属
棟久 明博
http://www.d9.dion.ne.jp/~giro/jiro/
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